民族時報 第893号(99. 9.11)


 

 解説

 

 関係者が暴露した「進歩党ねつ造事件」

 

 韓国の歴代独裁権力者は「政敵」を抹殺するために、手段と方法を選ばなかった。テロ、ら致監禁、暗殺、甚しくはテロ殺人を「合法」として偽装するために、司法機関まで動員した。

 統一祖国の樹立を身を焦がして願う民衆の願いもあずかり知らず、李承晩独裁は自身の立身出世だけのために、米国の対韓半島政策戦略による単選、単政(南側だけの選挙と政府樹立)を画策した。これに反対するすべての勢力を弾圧し、金九先生を白昼に暗殺し、呂運亨先生に九回もテロを加えた末、殺した。

 こうして権座にのぼった李承晩独裁は、最初の政敵である曹奉岩先生を抹殺するため、一九五八年に「進歩党事件」をでっち上げた。このでっち上げ事件で進歩党党首の曹奉岩先生は翌年、刑場のつゆと消えることになった。

 これまで「進歩党事件」関連者や学者らから、事件がでっち上げだとの主張が提起されてきたが、真相は歴史の闇(やみ)のなかに追いやられてきた。しかし四十年が過ぎた最近、当時の捜査に関与した捜査要員から「事件は当局によってねつ造されたもの」という証言が、「東亜日報」(八月十八日付)に報道された。

 当時、ソウル市警察局捜査要員であった韓承格は「当時の景武台(現青瓦台=大統領官邸)から、曹奉岩を捕まえなければ李承晩大統領の再当選が不可能なので、どんな手を使ってでも捕まえろ、という指示を受けた」と証言した。また捜査過程で「当時、上部から『進歩党をなくし、曹奉岩を殺すぐらいの事件を起こさねば、お前が死ぬぞ』という脅迫を受けた」と告白した。

 李承晩独裁は、世によく知られているように、米国の対韓半島政策を遂行するのに忠実な現地代理人であった。彼は休戦協定に反対し、「北進統一=武力統一」を叫んでいた。その当時、「北進統一」以外の統一主張はすべて「アカ」とば倒され、殺人的弾圧を受けた。

 一方、初代の農林部長官と国会副議長を歴任した曹奉岩先生が五六年に創党した進歩党は「平和統一論」を主張し、民生改革など、その当時としては革新的な政策を打ち出していた。このような政治路線で、李承晩独裁に背を向けていた民心が進歩党に集められた。

 五六年五月の第三代大統領選挙に野党候補として出馬した曹奉岩先生は、権力側のすさまじい不正選挙にもかかわらず、二百五十余万票(全体有効投票の三〇%)を獲得した。恐怖を感じた李承晩は五七年末、治安当局に「進歩党事件」をねつ造せよと指示した。

 ソウル市警察局は、進歩党の綱領と政策などを社会主義理論や北韓労働党の綱領などと連携させる作業に入った。こうして李承晩独裁は五八年一月、曹奉岩党首ら幹部を逮捕して「進歩党事件」を発表し、社会に衝撃を与えた。

 第一審で、裁判部は公訴事実のうちの国家保安法違反部分を棄却し、曹奉岩先生に懲役五年を宣告した。裁判結果に不満な李承晩独裁は、極右の暴力団を法廷に乱入させて大騒乱を起こさせるなど、社会全体を恐怖に陥れた。

 このような雰囲気のなかで開かれた第二審では、スパイ容疑が追加されて国家保安法違反で死刑が宣告され、大法院(最高裁)で確定して五九年七月三十一日、死刑が執行された。

 この事件は、第二代、三代大統領選挙に出馬した野党候補を、何の物的証拠もなしに拷問で引き出した陳述を唯一の証拠として死刑を確定したもので、事件当初から裁判過程の公正性に疑惑が絶え間なく提議された。学界では、独裁政権による代表的な「司法殺人」と非難してきた。

 今回明らかにされた事実は、「進歩党事件」はもちろんのこと、歴史の闇に埋められてきた数々の「迷宮事件」の真相を、必ず掘り起こさなければならないことである。もっと重要なことは、国家保安法が存続するかぎり、このような構図に根本的な変化はないという事実を、われわれがしっかり認識することだ。

 (金漢植記者)

 


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